KATSUSHIKA工場物語 認定 No.2007

ペンクリップ専業で半世紀、独自開発製品も好評

■国内に4社しかないペンクリップ専業メーカーの最大手

ペンクリップを専門につくる会社があることを知っている人は少ないだろう。「以前はペンメーカーがクリップも製造していたこともあったようですが、クリップはペン本体とは異なる特別な分野であるため、両者を並行して開発するのはコスト等の面で負担が大きいと判断したのだと思います。現在では、弊社のようなペンクリップメーカーに外注するのが一般的です。」と藤原茂起社長。東京金属工業は、国内に数社しかないペンクリップ専業メーカーのひとつで、金属製クリップの分野ではシェア40%以上を誇るトップメーカーなのである。「千葉にある工場が主力工場となっていますが、本社工場と合わせて、弊社では年間2億数本も生産します」と社長のいとこにあたる藤原浩純常務。海外メーカーは、ドイツに2社、米国に2社ほどあるだけなので、全世界的にみても数は少ない。

■新製品・新技術の蓄積とノウハウでペンメーカーの多様な要望に対応

ペンメーカーにとっては、新製品開発が命である。機能的にはそう変わらないものでもデザインを変更して、年にいくつもの新製品として発表するのが常である。また、近年では、ペンメーカーが製品開発を行うのに際し、開発当初からクリップメーカーに提案を要求するケースも多くなっている。クリップ部門に関してはメーカーよりも長年培ってきたノウハウがあるため、下請けというよりも共同開発者としての側面が強くなってきている。
ペンメーカーのさまざまな要求に応じるためには、デザインだけでなく、機能面でも多様な種類のクリップを常に開発し、要求されればすぐに出せるよう備えていなければならない。ペンクリップメーカーにも新製品開発が命なのである。「弊社は、設立当初から新技術・新製品開発を常に繰り返してきました。よくパテントを出す会社として他社からも評判を得ています。新しいものを考え続けるということが会社の体質の中にしみ込んでいるのです。弊社程度の規模で、月に一度特許事務所と打合せをするような企業はほかにはないのではないでしょうか」と藤原浩純常務。昭和35年から保存してあるという分厚い特許申請ファイルには、これまで特許申請した案件がみっしりと書き込まれている。その数は、平成20年までで279件にも及ぶ。新しいものを常に生み出し提案できるこうした能力こそ、東京金属工業を創業後58年という長い間ペンクリップメーカーとして生きながらえさせた源泉であるということがよくわかる。

■美しく寸法精度にも厳密な製品を大量に製造する難しさ

ペンクリップ製造工程は、以下のとおりである。ペンメーカーとの打合せなどを行った後、ペンメーカーから設計図面が届く。これを元に金型の設計をCADで行う。金型設計データから金型を製造した後、金型を設置したプレス機で炭素鋼板を成形する。成形したものに、バネの性質を加えるため熱処理を行う。さらに、バレル研磨を経て、メッキを施し、種々の検査を行った後、納品となる。
金型設計・製造は、葛飾の本社で行う。金型製造には、ワイヤーカットや型彫り放電加工機を活用する。プレス成形は、少量生産のものは本社工場で単能金型(ひとつの形状だけ成形する金型。ふつう金型という場合、こちらをさすことが多い)を用いて成形する。大量生産のものは、千葉工場で順送金型(ひとつの金型に複数の成形ができる機能を備えた金型)を用いて成形する。
熱処理は、千葉工場で行い、バレル研磨やメッキは外注する。「0.25〜1mm程度の薄板に浅い絞りと曲げを施すのが弊社の得意とするところです。美しい製品を大量に生産するのは、なかなか難しく、それなりのノウハウが要求されます」と藤原浩純常務は語る。「もちろん、製品に傷があってはならないし、製造後ペン本体との取付が必要なことから、コンマ100分台(0.01mm台)の寸法管理も必要になります。」これらに配慮して金型を作成しても、実際に絞ってみると、雄型と雌型との合わせの部分の微調整が必ず必要になります。どんな材料でも板厚や硬さは一定ではありません。製造環境も一定ではないので、金属が微妙に変化するのが、金型に微調整が必要とされる原因なのでしょう」。東京金属工業には、葛飾区の優良技能士に認定された2名の熟練技能者がおり、金型製造部門は充実している。プレス加工現場を素人がみると、そう技術を要するものとはみえないが、実はこうした熟練技能を要する部分が金型製造やプレス加工には数多くあるようだ。

■保有する技術を活かした製品開発の方向が功を奏した「スライドクリップ」

スライドクリップの開発は、藤原浩純常務が主体となっていた。

藤原浩純常務は、大学の工学部を出た後、電気メーカーに就職し販売企画の仕事に5年間携わった後、昭和63年に東京金属工業に入社した。入社後、社内プランニング販売部が発足し、これまでにない新製品開発を行う必要が出てきた。平成4年ごろのこと、伯父である小菅会長から、「今、ガチャックというものがよく使われているらしい」という話を聞き、「紙を挟むクリップは、オフィスの必需品である」「金属製であれば当社でも量産でき、商売になる」とひらめき、ガチャックなど器具を使うクリップのデメリットを補う製品を開発しようと方向を決めた。
器具を使うクリップの不便な点は、クリップがあっても器具本体がないとクリップとして使えない点である。クリップした書類をよその人にあげる場合、もらった人が器具本体を持っていないとしたらクリップとして再利用されず、ゴミとして捨てられるしかない。実際にそうやってゴミにするケースが多いともきいた。そこで、特別な器具がなくても挟んだり緩めたりすることが可能なものにする必要がある。ここまで考えが進んだとき、現在のスライドクリップの原型的な機構、すなわち内側と外側の二つのパーツで締めつける機構はすぐに頭に浮かんだ。
ここから製品化に向けたさまざまな課題を解決するための試行錯誤を繰り返した。指を挟む危険性をなくすため内部を曲げたり、使いやすいバネ強度にするため微調整したりした。発想してから製品化まで1年半かかった。

■卸売業者のがんばりで一挙に大人気商品に

仕事上のつき合いのあったある画材製造卸商の重役に試作品を見せたところ、大いに気に入られ、「販売ルートを開拓するので、ぜひうちにやらせてくれ」と言ってきた。製品ができても明確な販売ルートがあったわけではなかった。何もなければ、取引先の大手メーカーなどに持っていった挙句、先方のいいように扱われていたかもしれない。渡りに船とその画材製造卸小と3ヶ年の独占販売契約を結んだ。
ただ、その画材製造卸商にしても、画材が専門であったため、一般の文房具のしっかりした販売ルートがあったわけではない。ほとんどが新規開拓となったわけだが、重役のがんばりで販売の初年度となる平成6年で、1千万個以上も売れることになった。
ひとつ製品を世に出すと、それに対する新たなニーズも生じてくる。「より多い枚数に対応するものを」「もうちょっとおしゃれな感じのものを」といったニーズに対応し、より大型のものや外側の部分をカラフルな樹脂にした製品なども開発し、製品のバラエティも持てるようになった。
あるファンシーグッズ関連の会社から「ミッキーマウスのような形状の製品はできないか」と相談があり、ポリカーボネイト製で「シャドウミッキー」型の製品を開発した。この製品は、東京ディズニーランドやディズニーシーで販売された。

■以後も次々とさまざまなクリップを開発、衰えぬ開発力で未来は明るい

3ヵ年の独占販売契約期間以後は、画材製造卸商以外とも販売契約を結んで、さらに販売ルートは広がった。営業的な努力により、画材製造卸商も大きなメリットを得ることができたに違いない。東京金属工業も、独自の製品を持つメーカーとして新たな一歩を踏み出すことができた。
「その後、販売会社として株式会社トーキンコーポレーションを設立し、がんばってくれた画材製造卸商の重役を社長に迎えいれた。いまだ熱意を持って営業展開してくれています」と藤原浩純常務は満足そう。以後も、さまざまなクリップを開発し続けている。主力となるペンクリップの他に、スライドクリップなどの人気商品を生み出した東京金属工業の未来は明るいものだといえるだろう。

記事は葛飾町工場物語より